拘泥
年明けのねこ会のために、
久しぶりにフライヤーを作りました。
シッティングも好きですけれど、
イベントの企画や準備も、けっこう楽しいものです。
私はいつも言うだけ番長で、
大したことはしていなくて、
ゲスト(講師)やお店の方の準備が
一番大変だと思いますが・・・
フライヤーやイベントページを作るとき、
いつも書くこのブログでも、
私は「飼い主」という言葉を極力使いません。
堅い文章を書くときや、
どうしてもわかりづらくなってしまうときは
使うこともあります。
・・・が、「猫と暮らす人」と表現することがほとんどです。
私が生まれたときから家には猫がいて、
私にとって猫は兄弟のような友達のような存在でした。
30年前、猫たちは
家と外を自由に行き来しているのが当たり前で、
人との密着度は、今よりは薄かったかも知れません。
それでも「飼っている」という感覚は私にはなく、
「一緒に暮らしている」「共存している」
ずっとそんな感覚でいます。
たかが言葉、何でもいいと
言われてしまえばそれまでのこと。
でも、言霊って、あると思うんです。
投げやりな言葉を使っていると、
投げやりな心になってしまう。
今までの自分を振り返って、そんなふうに思います。
ブログを書くようになってから、
綺麗な文章の本をたくさん読み、
日本語って美しい!と思うようになりました。
拘泥(こうでい)
=こだわること、必要以上に気にすること
きっと、私は拘泥することが多い。
猫に関することなら、なおさらです。
こだわりや思いが強すぎると
反省することも多々あるのですが、
その思いがあるからこそ、今があるとも言えます。

箱があったら・・・

とりあえず横顔をこすりつけます。

「しもしもー?」

「かいーの。」

「くあー。」
これは、こだわりというより習性です。

開いたらとりあえず入ってみる。
どうでもいいのですが、
今日のランキングがニャンニャンニャンでした。

7544人中222位って、どうなんでしょう。
たまに100位を切ると、ちょっと嬉しくなります
お読みいただきありがとうございます。
そんなわけで、ポチッと応援よろしくお願いします。


久しぶりにフライヤーを作りました。
シッティングも好きですけれど、
イベントの企画や準備も、けっこう楽しいものです。
私はいつも言うだけ番長で、
大したことはしていなくて、
ゲスト(講師)やお店の方の準備が
一番大変だと思いますが・・・

フライヤーやイベントページを作るとき、
いつも書くこのブログでも、
私は「飼い主」という言葉を極力使いません。
堅い文章を書くときや、
どうしてもわかりづらくなってしまうときは
使うこともあります。
・・・が、「猫と暮らす人」と表現することがほとんどです。
私が生まれたときから家には猫がいて、
私にとって猫は兄弟のような友達のような存在でした。
30年前、猫たちは
家と外を自由に行き来しているのが当たり前で、
人との密着度は、今よりは薄かったかも知れません。
それでも「飼っている」という感覚は私にはなく、
「一緒に暮らしている」「共存している」
ずっとそんな感覚でいます。
たかが言葉、何でもいいと
言われてしまえばそれまでのこと。
でも、言霊って、あると思うんです。
投げやりな言葉を使っていると、
投げやりな心になってしまう。
今までの自分を振り返って、そんなふうに思います。
ブログを書くようになってから、
綺麗な文章の本をたくさん読み、
日本語って美しい!と思うようになりました。
拘泥(こうでい)
=こだわること、必要以上に気にすること
きっと、私は拘泥することが多い。
猫に関することなら、なおさらです。
こだわりや思いが強すぎると
反省することも多々あるのですが、
その思いがあるからこそ、今があるとも言えます。

箱があったら・・・

とりあえず横顔をこすりつけます。

「しもしもー?」

「かいーの。」

「くあー。」
これは、こだわりというより習性です。

開いたらとりあえず入ってみる。
どうでもいいのですが、
今日のランキングがニャンニャンニャンでした。

7544人中222位って、どうなんでしょう。
たまに100位を切ると、ちょっと嬉しくなります

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